VOL7:昭和42年電子工学科卒 今池 宏(イマイケ ヒロシ)さん
生まれは現在のソウル。父上の仕事の関係で山口県、広島県、岡山県、鳥取県、佐賀県などを2~3年毎に転居。そうしたことから子供の頃は、読書やラジオの組立など1人で出来ることが好きだったとか。
その後は理工系に進まれ計測機器メーカーに入社、開発・製造の第一線で長きにわたって活躍された。子供の頃から関心を持っておられた分野で力を発揮できて羨ましいと思うと同時に、一本筋が通った生き方に共感した。
そんな今池さんにお宅でフォーカスした。
---どうして千葉工業大学へ進学されたのですか? ---
父親の仕事の関係もあって、もともとは法学部志望でしたが、残念ながらその道へは進めませんでした。ただ、理系へも関心を持っていましたので、法学部以外では唯一、千葉工業大学電子工学科を福岡で受験し、進学することになりました。転勤がない生活にあこがれていました。理系で民間企業に入れば想いが叶うのでないかと思っていましたし、ピカピカの半導体工場で働くことを夢見ていました。
---どんな大学生活でしたか?---
2年生の10月に東京オリンピックが開催されました。どうしても入場行進が観たくて、下宿の近所の電気屋に転がっていた14型テレビをもらって帰り、映るようにオーバーホールを開始。高圧電源に何度も触れて飛び上がりながら修理し終え、寝不足の眼で入場行進を観た時はこれまでない喜びを味わいました。その後も友人宅のテレビが不調という話があると調整に出向き、食事をごちそうになりました。
卒論は「高周波低損失NiZnフェライトの研究」を3人で取り組みました。この時、日々の実験の状況を記憶に頼るのではなく、日誌につけることが重要だということを学びました。この習慣は社会人になってから大いに役立ちました。
研究室のメンバーと。右から4番目が今池さん
草稿までは割と早く出来たのですが、清書に手間どり、何度も何度も書き直しました。でも、その甲斐あって、無事に合格することが出来ました。
当時の計算は、1年生の時は計算尺の使い方を教わって行い、その後は機械式の計算機で行いました。現在の電卓があれば、もっと理数系が好きになっていたと思います。
---卒業後はどんな仕事に就かれましたか?---
HⅡロケット用低温高圧センサ
計装関係の会社ということで入社した新川電機㈱は、横河電機㈱の販売代理店でした。1年間は石油コンビナートで使用される計器やセンサ、バルブなどの保守点検に従事しましたが、その後は自社製品開発部隊に入り、ユーザーが必要とする製品の設計・製作に当たりました。不適合にも全て対応したので相当勉強になりました。
過電流変位計の開発は、その後のHⅡロケットエンジンのターボポンプの地上試験用低温高圧変位計へ、新幹線のレール保守用の軌間測定装置へと発展しました。また、振動監視装置として発電所や化学プラントの回転機の振動計測にも使用されるようになりました。
1994年、所属部門が新川電機㈱から分社化して新川センサテクノロジ(株)となり、仕事も設計課長から工場長、副社長へと守備範囲が広がりましたが、いろいろなことに首を突っ込む癖は変わらず、特に品質管理に力を入れました。
---仕事をするうえでのモットーは?---
万里の長城でのスナップ
問題が発生したら進んで解決に当たることです。ここで体験したことは得難いものがあります。
入社間もない頃、車に乗せられて客先の工場へ連れて行かれました。20台の記録調節計にガスが混入して電気系統が駄目になったのです。部品の在庫はなく、客先の1日でも早く復旧したいという要望に応えて24時間体制で現地修理をすることになりました。新入社員の私は、言われたことをやるのが精一杯でしたが、おかげで記録調節計の構造や電気回路を理解でき、後日この体験は大いに役立ちました。
---卒業後、大学へ行かれたことはありますか?---
2000年頃、採用活動で訪問しました。その時、見学させてもらった印象では、大学は構造物を先につくって、研究や実験設備等は後から考えているように思いました。米国の大学と比べると10~20年遅れている感じを持ちました。
---後輩に贈る言葉をお願いします---
不適合対応など何事も率先して体験することが将来の選択肢を増やすことになります。特に専門分野であればなおさらチャンスと思って飛び込んでもらいたいですね。一緒にやっている人とも一種の連帯感が生まれ、日頃は気難しそうな人でも親切に教えてくれますよ。
---同窓会活動に思うことは---
致し方ないことですが、会員の年齢が高齢化しています。会社の定年年齢が55歳から60歳または65歳になり、なかなか同窓会活動に参加しにくいかもしれません。でも、時間的に余裕ができた人が順次加われば役員交代もスムーズに行きます。10年以内で交代ができればいいですね。
また、若い人が参加するような取り組みが必要だと思います。いろいろな理由で都会から移動してきた人を受け入れるような。
---近況を教えてください---
無趣味の代表のような私は、会社を離れてから時間を持て余し気味でしたが、今では読書、畑、ドライブ、リハビリ、パン焼きの5項目を回していると結構時間に追われるようになりました。
本は今、NHK「コズミックフロント」制作班の「宇宙はなぜこのような形なのか」を読んでいます。ドライブは1時間程度、温井ダム方面によく行きます。
編集後記
仕事を離れられて奥様との時間が増えられたようだ。畑仕事やパン焼きは奥様が指南役だとか。これまで走ってこられたのだからスローライフを満喫していただきたい。
何より健康が第一。これからも同窓会活動をよろしくお願いします。
リポーター:篠原高英(工化49年卒)