人にFOCUS(支部会員の紹介)

VOL5:昭和35年機械工学科卒 吉谷 弘毅(ヨシヤ ヒロキ)さん

 現在76歳。今も現役で機械の開発を手掛けられている。難しい計算式を使いこなされる頭の中は、どんなふうになっているのだろうか。コンピュータでも入っているのでは。微分方程式を大学に置いてきてしまった私などは、及びもつかない世界だ。だから、いつまでも頭脳がお若いのだろう。頭を使うことは、何よりの健康法と言われる。ご家族で山登りや旅行をされた写真が飾られたお宅で、吉谷さんにフォーカスした。

---どうして千葉工業大学へ進学されたのですか?---

 生まれは徳島県。父が教育者でしたので学校の先生になるべく徳島大学で学んでいました。もともと、機械いじりが好きで、できればその方面に進みたいと思っていたところ、3年生を終えたとき玉川大学助手の兄から千葉工業大学の木村教授(ドイツ語、男性)が、来たければ手配する旨の話がありました。簡単な試験と徳島大学の成績書により、昭和33年4月、千葉工業大学機械工学科の3年生に編入しました。

---どんな大学生活でしたか?---

 とにかく勉強しました。遊ぶ暇などありませんでした。というのも、工学と教育学は履修内容がまったく違います。また、工学は2年次から専門科目を履修しているので、3年生に編入した私は2年次と3年次の履修科目(例えば材力、熱力、設計製図など)を同時に勉強しなくてはなりませんでした。必須科目の授業が重なったり、基礎と応用を並行して勉強したりと大変でした。4年次も卒論は東京大学生産技術研究所の森研究室に行きましたが、1週間に1日は千葉工業大学に戻って3年次までの履修科目の単位取得に努めました。
 卒論は数学が使えるのでロケットの振動をテーマに選びました。今、注目されているイプシロンロケットの初期のカッパーロケットの振動をアナログ計算でまとめました。
 当時は60年安保で学生運動が盛んでした。後に日野自動車の社長になった湯浅君(故人)とも、よく議論しました。

---卒業後、大学へ行かれたことはありますか?---

 仕事で総武線を利用することがあり、大学の前は何度か通っていましたが、2000年ごろ、1度だけ構内に入りました。1960年(昭和35年)は木造校舎でしたので、あまりの変貌に驚きました。

---卒業後はどんな仕事に就かれましたか?---


Hot Strip Mill(鋼板の圧延機)

 最初に求人があった三菱造船(現在の三菱重工)を志願しました。ただ、三菱のことは三菱鉛筆程度しか知りませんでした。
 入社後、設計課に配属されました。丁度その頃、内之浦のロケット発射台を三菱造船が製作することになり、卒業研究でロケットをやっていた私もメンバーに加えてもらいました。内之浦の開所式で糸川先生や森先生と話したことが思い起こされます。
 これはわずかな期間のことでして、ほとんどはトラブルの理論計算とドイツ語の翻訳ばかりで、夢も希望もなくしていました(後になってずいぶん役立ちましたが。。。。)。その後も設計らしい仕事はさせてもらえず基本計画ばかりで管理者になってしまい、設計や製図はできずじまいでした。
 初めの頃は製鉄機械の歯車や軸受、後半は剪断、圧延やプロセス設備計画の管理者として開発やトラブル対応に追われました。この間は日本経済の発展期で、国内の製鉄所はもとより、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、南アフリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界各地に赴き、製鉄所を始動させる仕事に携わったことが心に残っています。いろいろなトラブルが起きましたが、誠心誠意で対応すれば、国は違っても想いは通じます。そんな関係が2号機の発注につながったと思っています。

---三菱重工を定年退職された後も仕事を続けられていますね?---

 定年前から関連の設計会社に出向しましたが、ここでも開発とトラブル対応に悩まされました。また、近畿大学工学部の非常勤講師として約6年間、若い学生と過ごしました。
 70歳以降は広島の焼却炉メーカーで廃棄物の燃焼排ガスを利用した分散小型発電の開発を手掛けていますが、環境と電力会社のガードが堅く、規制が厳しいのでなかなか進展しません。

---仕事以外ではどんなことをされましたか?例えば趣味とか?---


1997年8月蓼科山にて

 ゴルフやマージャンもしませんでしたし、これといった趣味もなかったのですが、1978年頃から家族で山登りを始めました。富士山や北アルプス、南アルプスなどの山々に出かけました。定年後も広島近郊の山に行きましたが、一緒に山登りをしていた孫が成長して次第に家族で登山する機会がなくなりました。
 余談ですが、近所から頼まれて自転車の整備や包丁研ぎなどもしているんですよ。

---後輩に贈る言葉をお願いします---

 長い間、開発やトラブル対応をやってきて思うのは、どんな場合でも「誠心誠意」で対応すれば、何とか道が開けるものです。あきらめたらおしまいです。しがみついてでも、一所懸命取り組めば何とかなるものです。容易なことではありませんが、問題や課題を先送りせず、前を向いてしっかり取り組んでほしいですね。

編集後記

 人生75年計画を見直されているとか。数年前からいろいろ考えられておられるようだ。これからの住まいをどうするか、どこで、何をして過ごすかなど、私もそういうことを考える歳になり参考になった。こうしたテーマも同窓生間で情報のやりとりができるといいですね。

リポーター:篠原高英(工化49年卒)