VOL4:昭和42年工業経営学科卒 犬童 英徳(イヌドウ ヒデノリ)さん
支部会員唯一の政治家(広島県議会議員の現職、6期目)。昨今、風当たりが強い政治家だか、「調査なくして発言なし」を旨とされ、現場を重視した取り組みを貫かれている。鹿児島県出身で話し方や風貌から薩摩隼人を感じさせるところがある。千葉工業大学出身と鹿児島県出身は自らを語る2枚看板とのこと。看板に恥じない生き方をしなくてはならないと言われたのが印象に残った。工業経営学科で学んだことが議員の仕事にも役立っていると言われる犬童さんに県庁議員棟でフォーカスしました。
---どうして千葉工業大学へ進学されたのですか?---
鹿児島県出水市出身で高校は出水高校。1年後輩には広島カープOBの外木場投手がいました。関東の大学に進学したいと思っていたところ、当時、船橋市で学習塾をしていた従兄弟が千葉工業大学を紹介してくれました。ただ、実験が好きではなかったので工業経営学科を選びました。
---どんな大学生活でしたか?---
貧乏学生でしたね。アルバイトは学習塾、鉄工所のバフかけ、郵便物の仕分けなど、いろいろやりました。当時はアパートのタタミ一畳が千円する時代で、4年生の時は実習で部屋を留守にすることも多かったので、友人と2人で一部屋を借りました。毎晩7~8人集まってきて、安いウィスキーを飲んだり、ラーメンを食べながら、大いに語り合いましたよ。大学の授業やクラブ活動は元陸軍の木造の兵舎で行われていました。雨漏りがひどくて。でも、良い思い出です。学食の朝定は50円で、「ひじき」だけがおかわりOKでした。クラブ活動は「IEM研究会」に入り、3年次から会長を務めました。企業の工場見学などを主な活動にしていました。卒業研究は縫製工場の工程管理がテーマでした。
---卒業後、大学へ行かれたことはありますか?---
4~5回、行きました。直近は平成23年の秋です。千葉工業大学工業経営学科の昭和42年卒で、同大学経営情報学科の八田一利教授が退官されることになり、同期生が集まって労をねぎらい、旧交を暖めました。その時、津田沼や芝園の大学施設を見学しましたが、私たちが通っていた頃と比べると隔世の感があります。技術革新が速くて、激しい時代ですから、大学は先を見越した教育を提供しなくてはなりませんが、工業経営の名前が学科名から消えたのは一抹の寂しさがありますね。
---卒業後はどんな仕事に就かれましたか?---
呉市に本社があり、LPガス容器の国内トップメーカーである中国工業株式会社に就職しました。在学中、鹿児島から津田沼まで何度も列車で往復しましたが、丁度明け方、瀬戸内海に差しかかるわけです。こういう所に住みたいと思っていたところ、中国工業株式会社から大学へ求人が来ていました。入社後は作業改善室に配属されて、工場や協力会社の作業改善などを行いました。また、労働組合活動にも参画し、組合推薦で昭和50年(30歳)に呉市議会議員に初当選、3期務めました。
---広島県議会議員になられたきっかけは?---
先輩の県議が引退されるので、私に後任の声がかかり昭和62年に立候補しました。選挙区に地縁、血縁がない私の選挙は厳しいものがありますが、いろいろな方に支援していただき6期目を務めています。現在は広島県監査委員として、県警やその出先機関、学校などの業務監査を行っています。ムリ、ムラ、ムダをなくして効率的に仕事をするということを工業経営学科で学びましたが、そういう目線が監査の仕事に活きていて、今になって母校に感謝しています。その他、広島原爆被爆者援護事業団の理事、県議会の生活福祉保健委員会および再生可能エネルギー・防災対策特別委員会の委員を務めています。
---仕事をするうえでモットーにされてきたことは何ですか?---
座右の銘は「調査なくして発言なし」。つまり、現場を見ずにモノを言わないということです。人を動かそうと思うなら机上の論理ではだめです。まず、現場を把握することから始まります。また、市民派、庶民派を標榜していますので、誰でも気軽に話しかけてもらえるような議員活動をしています。友人の呉市長も私の会合に来て、「アットホームな雰囲気だな」と言ってくれますし、そういうところに集うオジさんやオバさんを裏切らないようにしたいと思います。
---これからやりたいことは?---
議員になる前は山登りをしたり、社会人のサッカーチームに入って体を動かしていました。どちらも体力がないと出来ないので次なる趣味を考えているところですが、里山歩きやウォーキングなどをやりたいと思っています。それと、選挙でお世話になった方々にどのように報いていくかということを常に考えています。議員であるときはもちろんですが、議員を辞めてからも大切なことだと思っています。
---後輩に贈る言葉をお願いします---
「若いときから歳をとるな」と言いたいですね。リスクの大きいことでも決断する心を失ってはいけません。また、モノづくりを支えている中小企業、暮らしを支えている農林水産業にもう少し目を向けて欲しいですね。これらを再生していくことは、広島県はもとより日本の大きな課題です。千葉工業大学が開発した原発事故対応ロボットが活躍しているように、大学で学んだことを再生技術に活かして欲しいと思います。学生の皆さんは、よく遊び、よくクラブをやり、アルバイトをして卒業すればいいと思いますよ。
編集後記
「野菜カレーを食べませんか。ここのカレーは美味しいですよ」のお誘いに、遠慮なくいただいた。一見すると県庁の議員棟のようなレトロなイメージだったが、食すると大きくカットされた野菜の旨みが伝わってきて、言葉どおり美味しかった。もう一杯はいけそうだった。
リポーター:篠原高英(工化49年卒)