人にFOCUS(支部会員の紹介)

VOL1:昭和42年土木科卒 羽田浩彬(ハダ ヒロヨシ)さん

 山陽自動車道の三原久井ICから県道25号を世羅方面に向かって走っていると、間もなく久井の街並みが見えてくる。その右側の小高い斜面に朱塗りの鳥居と石垣の上にせり出した建物。通るたびに気になっていたが、ここが「はだか祭り」などで有名な久井稲生神社(くいいなりじんじゃ)だ。なんと、ここの宮司さんが千葉工業大学の卒業生だと知り、たずねた。丁度1週間前に秋の「例祭」を終えられたばかりで、社務所にはその際使われた衣装や道具が並べられていた。

---まずは学生時代のことからお話しください。どんな大学生活でしたか?---

 高校生の時は就職を考えていたのですが、東京の親戚の勧めで大学へ進学しました。入学した千葉工業大学の土木科は1期生です。学生時代は勉強よりも生活のためにいろいろなアルバイトをしました。測量会社、配達、郵便局など。昼休みにソフトボールをしたのをよく憶えています。最近は、旅行にしても、宴会にしても、団体行動を敬遠する風潮があり残念です。

---卒業後、大学に行かれたことは?---

 15年前に行ったことがあります。津田沼駅に降りると当時の面影はなかったですね。すっかりビルの街に変貌していて、結局、キャンパスには入らずに帰りました。木造の兵舎があった昔の大学が懐かしいですね。

---いつから宮司をされているのですか?---

 昭和42年に大学を卒業して、三原市の建設会社に就職しました。会社に入ってから勉強しましたね。というのも、当時の地元の建設会社には大卒は稀で、期待も大きく、それに応えていくためにも一生懸命に勉強しました。いろいろな資格もとりました。
 本格的に宮司になったのは平成2年からです。それまでも、会社勤めをしながら神社の仕事を手伝っていましたが、父が退いたので私が引き継ぐことになりました。重機の取り扱いなど、建設会社で経験したことが役立っています。

---久井稲生神社のことを教えてください---

 ここは京都の伏見稲荷大社の最も古い分霊です。
 毛利元就が弘治3年(1557年)に本殿を造り、3年後の永禄3年(1560年)に元就の三男、小早川隆景によって、社殿がつくられました。
 三原城主であった隆景は「紙本墨書大般若経六百巻」を奉納し、現在、県の重要文化財の指定を受けています。

---「はだか祭」が有名ですね---

 「はだか祭」は2月の第三土曜日の21時から行います。西大寺のはだか祭(会陽/エヨウ)が同じ日の24時から始まるので、はだか祭りをはしごする人もいるのですよ。その他、7月の「ぎおん祭」、10月の「例祭」などがあります。
 昭和30年代までは神社の近くで牛の市がたち、賑やかでした。最近はお参りされる人が少なくなりました。子供が少なくなったり、意識も変わったのでしょうね。神社を存続させていくのが大変です。

---石垣からせり出した建物は何ですか---

 神楽殿です。平成3年9月27日の台風で神楽殿が壊れたため、建て直しました。石垣からせり出した造りが特徴です。お祭りの際にはここで神楽を舞ったり、楽器演奏などをしています。

---どんな思いで仕事をされていますか---

 人と人との心のつながりを大切にしています。何事も一歩づつ、自分で取り組み、心をこめて精一杯やってきました。これからもそうありたいですね。
  神社の近くに来られたら、ぜひお立ち寄りください。

久井稲生神社のホームページアドレス http://www.kui-inari.or.jp/index.html
リポーター:篠原高英(工化49年卒)